創造研究所

“心を尽くして主を信じ、自分の知恵に寄りかからない”。 (箴言3:5)

今日の多くの信者は、しばしば神への信仰を持つことと、神を信頼することを混同しています。 信仰は名詞である。 それはあなたが持っているもの、持っているものであり、望んでも見えないものの「実体」または「証拠」です(ヘブル11:1)。 神への信仰とは、神がすべてのものの創造主であり、ご自分が主張することを実行することができ、また実行されると確信することです。 一方、信頼は動詞です。 信頼は動詞です。 信仰は常に最初に来るものですが、信頼は決して保証されるものではありません。

信仰と信頼には大きな違いがあり、チャールズ・ブロンディンとハリー・コルコードの話はその良い例である。 ブロンダンは当時一流の綱渡り師であった。 1859年、ナイアガラの滝を初めて渡った人物として世界的に有名になった。 コルコードは彼の友人であり、マネージャーであった。 長さ1,300フィート、直径2インチの麻でできたケーブルが、アメリカ側のオークの木に巻きつけられ、もう一方の端はナイアガラ川を渡ってカナダの岩に固定されていた。 揺れを抑えるため、コルコードは両岸のアンカーに20フィート間隔で安定用のガイロープを取り付けた。ただし、中央の手の届かない50フィートだけは、たるんで危険なほど揺れていた。 コルコードの巧みなマーケティングにより、何万人もの観客がこの光景を目にすることになった。 ギャンブラーはブロンダンが落ちて死ぬかどうかを賭け、売り子はレモネードから酒まであらゆるものを売り歩いた。

1859年6月30日の午後5時少し前、ブロンダンはアメリカ側からゆっくり歩き始めた。 中央分離帯を過ぎると、彼は一気に走り出した。 しかし、今度はボックスカメラを背負い、再び歩き出した。 中央付近で不安定なバランスをとりながら、慎重にカメラを構え、観客の写真を撮った。 そして、荷物をまとめて、また走り出す。 往復に要した時間は23分。 無事にアメリカに戻ると、ブロンドンはすぐにアンコール公演を発表した。 2660>

数週間にわたり、ブロンダンは後ろ向き歩行、目隠し、バク転、一輪車押し、さらにはロープを渡る間にオムレツを調理するなどのパフォーマンスを行った。 彼は、これらの偉業を成し遂げられると信じていたが、同時に自分の能力をも信じていた。 1859年8月のブロンダンの大移動に見られるように、観客はただ信じるだけであった。 カナダ側に渡ったブロンダンが、マネージャーのハリー・コルコードにしがみつかれながらロープの上に再び現れると、観衆は恐怖におののいた。 何本かのロープは途中で切れてしまったが、ブロンダンは決してぶれることなく、無事横断を果たした。 ハリー、顔をあげろ。お前はもうコルコードじゃない、ブロンディンだ」。 この場所を去るまで、心も体も魂も私の一部になってくれ。 私が揺れたら、一緒に揺れなさい。 自分でバランスを取ろうとしてはいけない」1

これが信仰と信頼の違いである。 観客はブロンディンを信頼し、彼の能力を信じていた。 しかし、コルコードだけは、彼の背中に乗り、彼に運ばせてもらうほど、彼を信頼していたのです。 あなたの主への信頼はそのようなものだろうか。 あなたは主があなたを養い、世話し、すべての必要を満たしてくださると心から信頼していますか(マタイ6:25;1ペテロ5:7;ピリピ4:19)? それとも、あなたの個人的な資源や努力、あるいはあなたがコントロールしていると思っている他の人々や物事に信頼を置いているのでしょうか? 箴言3:5の「主への信頼」なくして、箴言3:6の喜びと自信を知ることはできません。 「すべての道において主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道を導かれる」

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